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ペンタクルの9:タロットカードの意味

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メッセージ:


  • 自立

  • 充足

  • 享受

  • 自制

  • 品格

  • 安定

  • 統御

  • 尺度

  • 落ち着き

  • 物質的な自由

  • 欲望の抑制

  • 成熟

  • 収益

  • 自分の場所

  • 値すること

  • 自分への許可

  • 秩序

  • 長い蓄積

  • 誇り

  • 静けさ

  • 選ばれた孤独

  • 信頼

  • 受け渡しへの備え

手に止まる鷹

豊かな衣の女性が葡萄畑に立ち、その周囲の蔓から六枚の金の円盤が垂れている。右手には手袋をはめ、その上に頭巾をかぶせた鷹が止まる。左手は枝の一本にそっと置かれている。衣は金の文様に覆われ、頭には赤い被り物を戴く。遠くには家が見え、葡萄畑は丁寧に剪定されている。その場所に他に誰もいない。占星術上の対応では乙女座の第二デカンと金星が与えられており、つまり最も秩序立った星座に美と享受が入り、秩序そのものが享受の源へ変わる。葡萄畑は丁寧に剪定され、その場所に他に誰もいない。遠くには家が見え、左手は枝の一本にそっと置かれている。

目を覆われた鷹

九はどのスートでも完結に先立ち、収集の最後の段階を表す。地のスートにおいてその収集は、自らの労働の実によって生きる能力として現れる。絵の最も雄弁な部分は鷹である。頭を覆われており、つまりこれは飼い慣らされた猛禽であって愛玩の動物ではない。鷹は狩りの鳥であって娯楽ではなく、それゆえこのカードは服従ではなく、調教を経た力について語る。手袋は、その力が保護を要することを意味する。鷹は狩りの鳥であって娯楽ではない。葡萄畑は剪定されており、つまりこの豊かさは栽培されたのであって自ら育ったのではない。乙女座における金星が組み合わせの全体を説明する。美を生む精確さである。手袋は、その力が保護を要することを意味する。

支えなしに立つ

ここに示されているのはきわめて具体的な状況である。誰にも許可を求めずに生きる能力である。物質的な自立でありうるし、他人の同意を待たずに決定を下す能力でもありうる。その位置は生まれつきのものではなく、先立つ八枚のカードの結果であり、とりわけ日々の反復を伴う八の結果である。それに達した者は立ち止まり、どの道でここまで来たかを分析する価値がある。まさにその理解が、得られたものを保つからである。それを維持することも必要である。自立は一度征服された頂ではなく、絶え間ない養いを要する状態だからである。その位置は先立つ八枚のカードの結果である。それに達した者は、どの道でここまで来たかを分析する価値がある。

なぜ目を覆うのか

鷹の頭巾は個別の分析に値する。この位置での自己統治の仕方を説明しているからである。その機能は鳥を落ち着かせ、必要なときにだけ放つことにある。それはまさに、この位置にいる者が行うことである。自分の欲望や衝動を消すのではなく、それらがいつ出る番かを決めるのである。その形は手に触れられる。支出における節度、注意の統御、熱意の瞬間に約束しないことである。それらの能力は目立たず、まさにそれが自立を持続させる。頭巾のない鷹は自ら飛び去って戻らず、監視のない資源にも同じことが起こる。支出における節度と注意の統御が、その具体的な形である。熱意の瞬間に約束しないことも、そこに加わる。

人のいない葡萄畑

その場所に他に誰もおらず、その部分は誠実な視線を求める。自立は自由を与え、孤独を与える。それは同じ位置の二つの面であって二つの別々の位置ではない。その自由を享受しながら、絆の状態を確かめる価値がある。まだ自分から訪ねてくる者がいるか、物事の本当の状態を知る者がいるかである。危険は孤独そのものにではなく、誰かを必要としないことと道連れを必要としないことを取り違えることにある。家は遠くに見え、葡萄畑はここにあり、その距離は意図されている。危険は孤独そのものにではなく、誰かを必要としないことと道連れを必要としないことの取り違えにある。

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享受は意味の一部である

金星は、この実が蓄えられるだけでなく消費されるべきものだと告げている。それゆえこのカードは一部を費やすことを明確に許す。あの良い品を買い、あの場所へ行き、何も生まない何かに時間を割くことである。それはペンタクルの4の縮こまりの正反対であり、このスートが休息する数少ない場所のひとつである。基準は可能性であって功績ではない。ここまで到達する人の大半に欠けているのは資源ではなく、自分自身に与える許可であり、それを与える者は他にいない。それはペンタクルの4の縮こまりの正反対である。このスートが休息する数少ない場所のひとつである。

受け継いだのではなく得られた落ち着き

衣は豊かで、その動きは静かであり、その静けさには来歴がある。窮屈さと長い労働を通り抜けた者は、ここに着いてもある種の用心を保ち、それは欠陥ではない。築くべきは尺度の感覚である。何が支出に値し、何が値しないか、そしていつ話しいつ黙るかである。それらの基準は圧力の少ない時期に形成される。つまりまさにいまである。葡萄は一季節をかけて熟し、均衡も同じように形成され、そのどちらも急かすことを許さない。築くべきは尺度の感覚である。何が支出に値し、いつ黙るかである。それらの基準は圧力の少ない時期に形成される。

ここから十へ

九のあとにはペンタクルの10が来て、そこには家族全体が集まる。その順序は問いを一人から世代へ移す。築かれたものは、それを築いた者のあとに残るのかという問いである。それは、このスートが誰かが孤独に自立することに満足せず、さらに継承についても問うことを意味する。それゆえ、いま立ち上がっているものの耐久性について考える価値がある。日々の存在なしに収益が保たれるか、その能力を他人へ渡せるかである。鷹は手にあり、葡萄畑は実り、家は近い。日々の存在なしに収益が保たれるかを問う。

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