戦車:タロットカードの意味

メッセージ:
意志の力
出発
方向
成功
自制
前進
決意
勇気
統御
集中
忍耐
勝利
推進力
目標
規律
努力の方向づけ
動機
明晰さ
継続
信頼
克服
律動
粘り強さ
関与
内なる道
都市は後ろに残った
このカードで最も雄弁な要素は背景にある。塔を備えた城壁の都市が奥へと遠ざかり、小さく離れているのは、出発がすでに起きたからである。前景には石の車があり、鎧をまとった御者が乗る。前には二頭のスフィンクスが繋がれ、一頭は黒く一頭は白い。彼が一つの引きとして進ませなければならない対立する力の像である。次に視線は手へ移り、そこに決定的なものが欠けている。手綱がなく、短い杖が一本あるだけである。頭上には金の星を散らした青い天蓋が広がり、この旅をより広い秩序に結びつけている。両肩には二つの三日月が置かれ、感情が後ろに残されるのではなく同行することを示す。額には八芒星、明確に理解された目標の徴がある。車は止まっており、それでも画面は強い速度の印象を残す。車輪は静止して描かれているため、ここでの運動は機構ではなく意図に属している。
手綱のない引き
このカードを開くのは、まさにそこに欠けているもので ある。手綱もなく、鞭もなく、この二匹を互いに理解させる手段もない。そこに意味の全体がある。引きを支えているのは彼の握力ではなく彼の姿勢である。スフィンクスは内側で引っぱる対立を表す。衝動と躊躇、望むものと当然と見なすもの。互いに別の方向を見ており、それが内的な感覚の正直な記述である。額の八芒星がそれに応えている。明確に理解された目標だけが、ここで本当に導くものだからである。胸の四角形は安定した内的な支えを与える。鎧は彼が何を見込んでいるかを率直に語り、それゆえこのカードは楽な道の約束としては読まれない。スフィンクスはさらにエジプトの伝統に由来し、そこでは入口を守り謎を出すため、この引きは答えを要求する問いをも意味している。

欲望と意志のあいだ
戦車は欲望と意志のあいだにはっきりと境界を引く。欲望は心地よく、無償で、完全に安全であり、何年でも頭のなかに留まりうる。意志はといえば選び、可能性を断念し、熱意が弱まっても続ける。熱意はいずれにせよ気分であり、気分に命令を下すことはできない。企図が信頼に足るものになるのは、ある朝どう感じるかに左右されなくなった瞬間からであり、その瞬間までどんな成功も繰り返しえない偶然にとどまる。最も難しいのは始まりでも結末でもなく中間の区間であることが分かる。新しさは終わり、結果はまだ現れない。始まりは熱意をもたらし、終わりは目に見える結果をもたらし、中間はそのどちらも持たない。真の関与は意図のなかにではなく一日の予 定表のなかに読み取られる。
本当の抵抗はどこにあるか
この車には手綱がないため、別の仕方で操縦される。他人を統べることではなく、衝動が生じたまさにその瞬間にそれに従わないことである。怒り、焦り、散漫、目標の直前で投げ出したくなる気持ちがこの道の本当の敵であり、最後のものが最も奇妙である。成功が近づくにつれてまさに強まるからである。すべては刺激と応答のあいだの短い間で決まり、その間のなかに、このカードが統御と呼ぶもののすべてがある。その間は訓練でき、また消耗もするため、疲労と空腹はどんな性格の欠陥よりも多くの決定を台無しにする。誘惑を手の届く範囲から取り除くことは、五十回それに抵抗するよりうまく働く。意志は限られており距離は一定だからである。同じ理由で、重要な決定は一日の前半へ移される。
開いた扉の代価
二匹、一本の道、一つの方向。複数の可能性を開いたままにしておくことが、まさにどれも進まない原因であることが多い。開いた扉は安心させる。何ひとつ決定的には失われないからであり、そしてそれぞれが静かに注意の一部を運び去る。指示は単純である。何かは待たなければならない。犠牲ではなく期限が必要であり、つまり今後三か月間どれを優先するかを定めることである。それによって断念は秩序へと変わり、抵抗は即座に落ちる。先送りにされた事柄は注意を占めることをやめるのに対し、拒絶された事柄は戻り続けるからである。この決定を周囲に伝える価値がある。いずれにせよ断るはずだった依頼の数が目に見えて減るからである。そのあと前進はたいてい、追加の労働時間なしに加速する。その加速はより多くのエネルギーからではなく、その流出の停止から来ている。
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抵抗を前もって計算に入れる
真剣な始まりはすべて抵抗と、外からの疑いと、内からの疲労にぶつかり、そのどれも道が誤りであることを証明しない。近しい者から届く批判はたいてい拒絶ではなく、不器用に表現された不安である。実際の弱点を指す反論と、話し手の恐れを伝えるだけの反論は区別したい。前者は具体的な欠落を名指し、後者は一般的な危険を名指す。前者は計画に組み入れ、後者は論評せず流す。最も低い地点も前もって計算に入れる価値がある。ほとんどすべての企図に現れ、待ち構えているときにははるかに弱く打つからである。それは回復を、あとの報酬ではなく計画の一部として扱うことを意味する。競技者が回復日を練習計画に組み込むのと同じである。
出発の静かな部分
都市の城壁は物語の最も静かな部分を語っている。真の出発はすべて何かを後ろに残す。習慣、役割、ときには行きたがらない人々である。それについての悲しみは自然である。選ばれた変化もやはり喪失であるからだ。その都市はかつて正しい都市であり、そこに住 む者を受け入れていたことを覚えておく価値がある。去るにあたってそれを貶める必要はない。貶めることはたいてい別れを軽くするために考え出された物語だからである。何人かは同意しないだろう。その落胆とは、説得を試みずに共存しなければならない。丁寧に行われた別れは、説明なしに姿を消すよりも道をはるかに軽くする。絵のなかの城壁は消えずに小さくなっていく。つまり残してきたものは、道行きのあいだずっと地平線に見え続けている。
数の七と第一の区分の終わり
数のVIIは大アルカナの最初の七枚を閉じる。意志、直観、豊かさ、秩序、学び、そして最初の個人的な決断である。この六つの段を経ずに出発する者は百メートルで戻ってくる。構造がなければ計画は崩れ、明確にされた価値がなければ動機は尽きるからである。愚者との比較がそれを明白にする。彼もまた出発するが、目標も装備もなく、両者の違いは勇気ではなく備えにある。そのあとに来るものも意味深い。勝利のあとに続くのは別の勝利ではなく、自分自身に耐える仕事である。ウェイト版ではこの順序が力に対応するのに対し、マルセイユ体系では八番目の位置を正義が占めており、この違いを知ることは二つの資料を比べる際に必要となる。






